正解よりも、隣を歩く温度を。正論で解決できない「心のトゲ」との向き合い方

雑記

今日は、どうしても心がトゲトゲして、柔らかい言葉が見つかりません。

そんな夜は、無理に笑わず、今のままの温度でペンを走らせてみようと思います。

​ブログを書いていても、自分の気持ちを「やわらかく」整えられない日だってある。

そんな自分も、今の私の一部として書き残しておきます。

「正論」という名の、痛い優しさ

​誰かに悩みやモヤモヤを打ち明けるとき。

私たちが本当に求めているのは、果たして「正解」なのでしょうか。

​よく言われる「解決したい男性脳」と「共感したい女性脳」。

その違いは、時として住んでいる星が違うくらい、遠く感じることがあります。

​「こうすればいいよ」「次はこうしなよ」

​差し出されたのは、最短距離でゴールへ導いてくれる、非の打ち所がないほど正しい地図。

でも、今の私に必要なのは、地図ではありませんでした。

「わかってる」からこそ、苦しい

​「そんなの、もうわかってる」

喉まで出かかった言葉を、飲み込みます。

​頭では理解している「正解」を、一番の味方であってほしい人にズバズバと言われてしまうと、助けてもらっているはずなのに、なぜか独りぼっちになったような寂しさを感じてしまう。

​目的地へのルートを教えてもらうより、今はただ、泥濘(ぬかるみ)にハマって動けなくなった足元を見て、「大変だったね」と一緒に立ち止まってくれる温度が欲しかった。

「味方だよ」という、理屈を超えた安心感に包まれたかったのです。

「オトナ」になるって、どういうこと?

​もっと私が大人になって、海のような広い心を持てたなら。

彼の不器用な正論も、「解決してあげたいっていう愛なんだな」とさらりと受け流せたのかもしれません。

​でも、正論を正論として飲み込めない、割り切れない想いを抱える「未熟な私」だって、大切な私の一部。

​広すぎる心なんて、すぐには持てなくていい。

「そうじゃないんだよ」と心の中で小さく毒づきながら、そんな自分を「まあ、人間だもんね」とほんの少しだけ許してあげる。

それが、私にとっての「オトナ」への一歩なのかもしれません。

おわり

今はまだ、差し出された言葉の鋭さが、少しだけ痛いけれど。

今夜は正しい言葉よりも、温かい飲み物と、大好きな音楽に身を委ねて。

​トゲトゲした心の角が、明日の朝には少しだけ丸くなっていますように。

おやすみなさい

Photo by YC Siu on Unsplash

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